女子プロゴルファーとして長年ツアーで存在感を出してきた 笠りつ子(りゅう りつこ)さん。
鋭いショットや冷静なプレー運び、そして最後まであきらめないメンタルによって、多くのファンから応援されています。
そんな笠りつ子さんについて、ネット上では「笠りつ子 国籍」「笠りつ子 韓国人」などの検索が多く、気になる方が多いようです。
しかし、実際には国籍は日本と書かれており、出身地も熊本県菊池郡菊陽町という情報があります。
誤解が生まれた背景には、珍しい苗字の読み方が関係しているようです。
この記事では、笠りつ子さんの国籍や出身、家族との関係、キャリアの歩み、プレースタイルから見える人物像までを一つずつ紹介していこうと思います。
それではいきましょう。
笠りつ子の国籍は?出身地とプロフィールを紹介
笠りつ子さんは、1987年11月4日生まれ。身長160cm、体重58kg、血液型AB型と公表されています。
所属は京セラ、プロ転向は2006年です。
通算優勝回数は6勝で、実力派として安定した成績を残してきました。
また、学歴は東海大学付属第二高等学校を卒業後、九州東海大学に進学していますが、ゴルの道を優先して大学は中退したそうです。
プロへの道を優先して学歴はいらない!となったのでしょうね。
その結果プロでも結果を残せているのがすごいです。
強い覚悟があったのでしょうね。
笠りつ子さんの出身地は 熊本県菊池郡菊陽町。
幼少期からゴルフ練習場を経営する家族のもとで育ち、9歳のときに父親の影響でゴルフを始めました。
熊本は、笠りつ子さんが地元愛を強く持つ土地で、のちのちには熊本市の親善大使にも就任しています。
2016年の熊本地震では実家の練習場も被災。
家族は一時的に車中やテントで生活することとなりました。
それでもその年には逆境を跳ね返して2勝をあげ、賞金ランキング3位という成績を収めています。
自然災害で苦しんだこともありましたが、結果を出せてよかったですよね。
メンタルが強い証拠だと思います。
笠りつ子さんの国籍は日本と公式にあります。
とはいえ「笠」という苗字の読み方が「りゅう」であることの珍しさから、一部では韓国や中国籍ではないかという憶測が出ることがあったようです。
「笠(かさ・りゅう)」という姓は、日本国内でも「かさ」と読む例が多いですが「りゅう」と読むのは非常にレアなケース。
この姓の読みが、国籍に関する誤解を生んだ一因だと思います。
確かに「りゅう」と読むと、他の国籍と間違えてしまいそうですよね。
他にも「りゅう」と読む「笠」の名字の方がいるのか気になりますね。
笠りつ子の父親はどんな人?家族との関係を深掘り
笠りつ子さんの父親、清也(せいや)さん はゴルフ練習場を経営しており、ゴルフを始める環境を整えた人物です。
また、父は師匠である坂田信弘氏と縁があり、9歳で坂田ジュニアゴルフ塾に入門するきっかけを作ったそうです。
かつては父親がキャディも務めており、親子でツアーを戦う時期もありました。
ただ、体力的に限界を感じたことから「キャディ離れ」というエピソードもあるようです。
坂田信弘さんとも共通点があったのですね。
これがきっかけでゴルフを始めたとなると、いいスタートを切れましたね。
幼少期からゴルフにとりこんだ笠りつ子さんは、父親のおかげでクラブを握るようになりました。
9歳でゴルフを始め、中学2年のときには九州ジュニアゴルフ選手権で優勝。
高校1年生時には九州女子アマチュアゴルフ選手権で最年少優勝を達成し、才能を発揮しました。
父親は技術面とメンタルでの指導に加え、練習環境を整えていたそうです。
父親の手厚いサポートによって、笠りつ子さんの根性や諦めない心を育てたんですね。
ゴルフは技術だけでなくメンタルのスポーツでもあります。
笠りつ子さんが挫折しそうな時期は、家族の支えが大きく感じられました。
特に熊本地震や被災の苦難を経験した時、家族の励ましが笠りつ子さんを支え、力を与えてくれました。
親子で築いてきた信頼関係が、笠りつ子さんの強さの源の一つだと言えるでしょう。
家族一丸となって乗り越える力は強力ですよね。
逆境に向かう姿勢は見習わないといけません。
笠りつ子の長年のゴルフキャリアの歩み
笠りつ子さんは2006年のプロテストを一発合格で通過し、JLPGAに入会。
それ以前からアマチュア時代には複数のタイトルを獲得し、実績を重ねていました。
デビュー後早くもトップテン入りを果たし、着実に実績を積み上げています。
順調にアマチュアからプロへと転向したのですね。
プレッシャーがある中、少しずつ実績を積み上げているのもさすがですよね。
笠りつ子さんのプロとしての勝利は、2011年のニトリレディスゴルフトーナメントでの勝利です。
以後、ヤマハレディース、アクサレディス、ヨネックスレディスなどで勝利を重ね、通算6勝を挙げています。
2016年には年間2勝を挙げ、賞金ランキング3位という成績を達成。
さらに2021年には、3日間ボギーなし優勝という記録を打ち立て、ツアー史上10人目の快挙を果たしました。
3日間ボギーなしってすごいですよね。
こんなことってあるのでしょうか。
長いプロ生活の中には浮き沈みもありますが、笠りつ子さんは困難な時期からの復活もありました。
特に2016年の熊本地震による被災状況下での戦いは印象的で、逆境を受けながらの勝利はさすがとしかいえませんでした。
また、父親と親子で戦った時期や、キャディ離れを意識し始めた時期など、家族との関わり方の変化もありました。
浮き沈みがある中でもしっかりと結果を出しているのがすごいですよね。
本当に辛い時こそメンタルがものをいいますが、そこはしっかりと練習してきたようです。
笠りつ子の国籍と父親、キャリアから見える人間的魅力
笠りつ子さんの国籍は公式に日本です。
出身は熊本県菊陽町で、故郷への思いを強く持つ選手です。
幼少期からゴルフ練習場を経営する家族に囲まれ、9歳からゴルフを始め、地道な努力を重ねてきました。
父親との関係は厳しくもあり温かく、キャディを務めた時期やその後の変化も含めて、笠りつ子さんのプロとしての土台であったことは間違いありません。
読み方が珍しい苗字から時折国籍に関する誤解がでてきますが、確かな情報の通り、笠りつ子さんは日本人プロゴルファーです。
こうした背景を知ることで、表面的だけでなく、笠りつ子さんをしっかり理解できるでしょうね。
これまで多くの困難を乗り越え、ツアーで実績を積み上げてきた笠りつ子さん。
年齢を重ねた今も向上心を忘れずに、さらなる挑戦を続けています。
地元熊本への思い、家族への感謝を胸に、笠りつ子さんがこれから残していく結果にも多くの期待が集まります。
プレッシャーや批判を跳ね返し、強さを見せる笠りつ子さんの姿は、多くのゴルフファンにとって励みとなります。
今後のツアーでの活躍、そして新たな挑戦の活躍に、目が離せません。
以上、今回は笠りつ子さんについてでした。
ここまで読んでいただきありがとうございました。



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